たんたんの日々

淡々と生きる。坦々と暮らす。忘れていた楽しみ、おいてきぼりにしていた暮らし、新しい愉悦、心地よい時間を再発見していく日々をつづる。

「たんたんと」生きるつもりが・・・

「たんたんと」生きるつもりが、また、少々忙しくなってきた。

4月から職業訓練校にかよい始めたからだ。

 

話は昨年秋にさかのぼる。

僕は9月に定年を迎えた(選択定年制度を使い1年前倒し)。

直後から、多少前職の手伝いやら、学生時代の後輩からの依頼で、アルバイトとして多少の仕事をさせていただいたので、それらが終わる12月になってから職安に求職申し込みをしに行った。

 

失業認定を受けて年末ぎりぎりに雇用保険説明会があったのだが、そのときに壁のポスターに気がついた。

「手に、職。」が未来を変える。

・・とある。

 

第2ステージの入り口にあって、暮らし方を意識的に変え(たんたんと生き)、長く息の続く働き方をしよう、と考えていた。

***************

ただ、「手に職」は、自分の職歴では身につけることができなかった。

若い頃に夢見たことがある「家具職人(木材加工)」の道は、34歳以下が受講条件だった。「内装工事(室内施工)」の道も、さすがに修了時60歳の新人がこれから仕事を見つけるのはいかんともしがたく断念。それでもこの年齢で受講でき、就職にも結びつきそうなコースがあったので、そのうちの一つを選んだというわけだ。

もちろん、受験料、入学金、授業料も不要で、失業給付は(訓練修了まで延長して*)いただきながら、通所手当もいただきながら、定期代も出していただきながら、この歳になって勉強ができる、その結果資格を得て今後の身を助ける、訓練校には専任の就職支援スタッフもいて紹介率も高い・・・という実利も十分魅力的に映った。

*注:僕の場合、失業給付は150日間(12月末から5月まで)。それが職業訓練校に通うことになれば、9月修了まで4ヶ月間延びるというわけだ。 

 

パンフレットを持ち帰って検討。正月休みに申込書を準備のうえ、年明けの早々の認定日には相談、受験の意思を表明。受講指示を取り付けた上で、おもに1月中に開催されるオープンキャンパスや体験入校に参加した。

施設、設備の充実度や、美しく保全されている状況は、私の職業訓練校へのイメージを大きく変えるものだった。講師の人柄や説明のしかた、受講生・体験参加者などの雰囲気についても自分なりに確かめたうえで、迷いなく受験申込書を提出したのだ。

 

だが、問題はそれからだった・・・(つづく)

退職後の半期決算(おこずかい編)

勤め人のころは、ほぼ毎食、外食だった。食費(外食費)は、8割にも達していた。

最後の10年間は、通勤が2時間近くだから、途中でモーニングを摂ることも多かった。昼食は時間がずれることが多く、職場の机で食べるのもせわしないし、職場近くにお気に入りの小料理屋が昼定食もやっていたからそこに行った。帰りはちょっと遅くまで仕事をすると小腹がすいて、エキナカや周辺でチョイ飲みすることも多かった。

 

さて退職後半年。

金額絶対値ももちろん減ったが比率が様変わりした。金額は出さないが、「おこづかい」状況がまとまったので、ここに記しておく。

交際費24.2%

交通費22.6%

食費27.4%(このうち31.8%は結果的には家の食材の立替分であったが)

ここまでで4分の3。あとは教養娯楽12.8%、被服費2.0%など。

 

やはり交通費は激増した。今は定期券がないから交通費はすべて自腹である。以前は大きな繁華街を複数貫いて通勤していたので、通勤定期のカバー率は高かった。

ただ、混雑している中を仕事中のせわしない気持ちで歩きたくないし、疲れているから結局は歩き回りたくないし、休日は、電車ではまず出かけなかった。今だから言えるが(笑)勤めているうちにあちこち行っておくべきだったかも。

 

職場の飲み会は忘年会や異動の季節にほぼ限られ、そう多くなかった。帰りがけの個人的なチョイ飲みはしたが小腹を満たすのにビール小を一杯つけるぐらいであった。しかし今になって職場の関係の方々と酌み交わすことが逆に多くなった。

また、以前よりあきらかに学生時代の仲間と飲む機会も増えた。みな「あらかん」だからである。小人数で飲むから機会は増えた。

いずれもまた嬉し。ありがたいことであるが、交際費は分けてみて正解だった。小旅行なども含んでいるが、これだけで4分の1である。外食費は落としても、交際費は減らしたくない。

 

純粋な外食費比率という意味では、8割が2割に激減した。

家で食べる機会が増え、質素な食材で、しかもいっぺんに大量に食べないから、ぱっと見は変わらないが(笑)、体重も落ちた。

妻と一緒にでかけると、自分のこづかいにならない枠組みで、ちょっとしゃれた美味しいものを食べられるのも「お得」(笑)である。

 

【参考】

こういうソフトで簡単入力してみたお小遣い帳だが、なかなか高機能である。

Let's家計簿 & Toys in a Box - 誰でも使える簡単・高機能家計簿ソフト

 

退職後の半期決算(家計編)

4月になった。

2016年9月に退職して半年が経過したことになる。

この半年の中で、先に書いたように年金をはじめ収入の方策、今後の暮らしぶりを考えつつ、自由を謳歌してきた。

結果・・・

 

退職金は残り僅かになった。

現在すでに退職金の預金残高は13%(笑)

別に世界一周船旅をしたわけでも超高級マンションを買ったわけでもない。

 

不動産の購入は一時考えた。中古マンション買って貸せば多少の実入りににはなるのではないかと。

だが今は五輪にむけて不動産価格が上がっている、と感じた。まもなく一挙に下がりはじめるのではないか。それに都心部を除き入居率もそう高くないとすれば、うまく郊外の安いのを買えても、借り手が付かない危険は十分にある。それも賭けである。

 

退職金の25%は、自宅の残債清算に充てた。

5%ほどは、車関係その他いろいろで消えた。

のこり70%を、不動産でも預金でもなく、投資に充てることに決めた。

確定拠出年金は今年末までは(まだ59歳だから)「塩漬け」なのだが、運用はやはり「投信」にし、解除後は、NISA枠は使ってもいずれ投信にまわす。

僕はお金に関して口コミ広告をするつもりは無いから「ある投信」としか書かないが、2月末に入れたお金は、たった数週間で2%増えた。

同率でずっと伸び続けるとは思わないし、原資を割るリスクも当然ある。しかし、不動産収入をあてこむのも賭けなら、同じこと。高い期待はしないが、預金よりましだ。

SBIや楽天の0.02%はまだしも、メガバンク金利0.001%って、何なんだ?

 

投資信託に照準を合わせてからは、小さな会社だがヘッジファンドファンドマネージャーにも直接会いに行って話を聴いた。アクティビストとして活躍していて、30%を超える運用成績は魅力的でもあったから申込みかけたが、投資単位が大きく、一抹の不安を拭えなかったので振込み直前に考え直した。

ただ、彼と会ってみて、投資の姿勢(アクティビストであっても喧嘩腰や仕手戦のようなものではなく)、投資手法(眼の付け所)や、投資先の会社との株主としてのコミュニケーションのしかた(物言う株主)、さらに、投資先を育て株価を上げるだけでなく、事業を通じて社会に成果を還元する、という視点には、僕自身のかつての職場(株式会社ではない)に通じるものがあり、感じるものがあった。

株や投資と言うと、マネーゲームというか賭けのような「投機」のイメージが拭えなかった。ちなみに妻は、デュアルモニターでデイトレードしていて、小さな株取り引きを重ねて小遣い稼ぎはしているが、退職金運用を彼女に任せるのはそれこそ大博打だと思った(笑)。

こんなことは、今は子どものころから「お金の授業」で習うのだろうが、「投機」と「投資」は全く違う、ということだ。

「投機」はある意味ギャンブルで、得する者がいれば損する者も出るゼロサムの枠組みだ。しかし「投資」は市場全体の成長を育みつつ参加者みなが得を求める仕組みだ。

こうした世界とは無縁の仕事をしてきたおっさんが、直接の株投資など怖くてできない。「餅は餅屋」ということで、先に書いた彼とはまた別の、しかし同じようなスタンスを持つ、顔が見える機関投資家が主宰し、透明性の高さを持つ「ある投信」を選んだ、というわけだ。

自己責任だが、さてどうなるか。

ーーーたんたんと生きながら、一年後を待ちたい。

 

 

以下は、「ある投信」とはなんの関わりもないが、参考にした書籍。

僕は直接投資をしようとは思わないが、「伸びない会社のサイン」という以下の例もうなずける。

・本業と関係ない事業を持っている。

・中期計画に数値目標が明記されていない。

・自社ビルを建設する。

・受付嬢がやたらと美人。

・社長が業界紙以外のメディアに出始める。

  

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お役人様の仕事が丁寧、かつ早い

こういうことには仕事が丁寧、かつ早い(笑)。いや、僕ではなく「相手」の話(笑)

退職し、すぐに厚生年金から国民年金への切り替え手続きをしなかった。

それなのに、職安での一番最初の説明会で、基礎年金番号や住所氏名がプレプリされた「国民年金被保険者資格取得届出書」なるものが個別に渡されたので驚いた。職安と業務コラボしてるらしい。

それでもそのうちにと放っておいたら、今日は、「あなたは手続きされなかったので、こっちでやっときましたからそこんとこヨロシク」という趣旨の「資格取得のお知らせ」なる手紙が来た。
勝手に取得させてもらい、ありがたいことである。

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後日納付書を送付しますとあったが、その納付書が束になって同じ日に届いた。
実に念のいったことである。

ちなみに、未納分は今からでも払えば追徴はない。僕はこれで払うが、このあとは催告状、さらに一年以上の未納で最終催告状、これも放置で、はじめて追徴のかかった督促状がやって来るという。

ずっと勤め人をやっていたから年金は意識の端にしかなかったが、いろいろ大変である。

払うのではなく、年金をくれるときも「こっちで支給の手続きをしときました」という、念のいった仕事してほしいが、そうはいかないだろうなあ。

 

 

退職後を考える。もう退職しちゃったんだが(笑)

100歳までは欲張らないが、80歳でよしとして、それでもあと20年。

今、国は「一億総活躍」と言い、74歳までは老人とはみなさないといい始めている。確かに現実的に年金制度や人口動態との関係では、いやおう無くそういう対応をせざるを得ないとも思う。僕の年齢では、あと15年、社会で安定的に生きる道筋が必要だ。 

         ■

・幸いにも、子どもたちは早めに独立、新しい世帯を作っている。子育て真っ最中のように収入はなくてもいいが、働く場、働き方稼ぎ方の複々線化を探る。

・年金だけでは暮らせない。がつがつ働く気はもうないが、働きすぎると年金は減額かもらえない。

・暮らしのダウンサイズを始め、出を抑える(飲み代は別(笑)。

・住宅ローンは先日手続きをしてこの3月には晴れて「完済」となる。大きな借金がなくなったのはありがたい。手を入れて人に貸せば、逆に多少の収入につながりそう。

・家は夫婦二人には広く、自分たちは小さな家に越して暮らす(借りるかどうかは検討中)。

・退職金の残りなど現金を銀行に入れ放しではなく、どう活かすか算段中である。

・自分たちに葬式や墓は要らないが(自然葬・散骨を希望)、親の世代の墓じまいに手をつけなければいけない。

・共済や保険の契約もだいぶ見直したが、自分たちや親の大病や事故への備えは十分とは言えない。

・夫婦それぞれの親の介護などは、原状では余り持ち出しはなく、それぞれの親のお金でなんとかなっているから、それはありがたい。

・年金はいつからもらうのか。早目(前倒し減額)か、遅め(先送り増額)か。いつ死ねばお徳か、その「損益分岐点」は?

たくさんの線分があり、補助線があり、複雑な図になりそうだが、これからの生き方は単純な一本の線で表わすことはできない。考えること、やることはたくさんある。

僕は不器用なので、あれこれに気が回らす、働きながらでは深く調べたり考えにくかった。もちろん、ある程度の道筋が見えたから退職へのはずみをつけたのだが、少し早めに退職してよかったと思うこのごろである。

         ■

僕らの世代は、まだ、人生の第一ステージで教育を受け、それを生かして第二ステージで一生懸命はたらいて家族を養い、資産を形成し、第三ステージで悠々自適に暮らすという、いまとなっては幻想のような青写真を半ば信じていた。

僕らの親の世代は、真に悠々自適かどうかは別として、年金受給に限って言えば「逃げ切り世代」と言われている。が、若いときには戦争に巻き込まれていましたから、第一ステージは滅茶苦茶だったともいえる。

僕らの子ども世代は、第一ステージは多くが大学や、場合によっては大学院まで通える環境が整えられているが、仕事や暮らしにそれを生かせる環境は崩れてきている。相当な教育を受けても非正規雇用が多いし、子育て環境も貧弱で、家庭を持つ生涯設計が立てにくくなっている。

 そういう意味では、昭和30年から60年前後のたった30年間だけが黄金の時代だったということだ。まさに僕はそういう時代に社会の果実をのんびり享受できたが、今は、厳しさを迎え撃つ姿勢に早めに切り替えなければいけないと考えている。

 

人間の一生は、いい時もあれば悪いときもある。生き延びさえすればどこかで平均化されるのなら、納得できるのだが。どうなるだろうか。

 

【生活費と準備】

65歳夫婦(無職)の場合 *住居費、教育費を除いてあります。

消費支出(月額)非消費支出(月額)
食料費 58,948円 直接税 13,073円
光熱・水道費 20,183円 社会保険料 17,393円
家具・家事用品費 9,111円 その他 51円
被服及び履物費 7,033円    
保健医療費 15,262円    
交通・通信費 27,022円    
教養娯楽費 26,273円    
その他 61,521円    
小計 225,353円 小計 30,517円
1か月の生活費合計 255,870円

総務省「家計調査」(平成24年平均)より2

 

結局、年金は早くもらうと得なのか損なのか? 

 ちょっと試算してみよう。仮にBさんが65歳からもらえる老齢基礎年金額を年額720,000円(月額6万円×12月)とする。これが60歳からもらうことで、70%の504,000円に減額される。分岐点は77歳。60歳から77歳までに17年間の受給総額は8,568,000円。一方、65歳から77歳までの12年間、本来の老齢基礎年金額の受給総額は8,640,000円になる。
 受給総額で比較した場合、大雑把にいうと、77歳より長生きしなければ繰上げ受給のほうが得、77歳より長生きすれば本来受給のほうが得ということになる。
 ちなみに、日本人男性の平均寿命(79歳:平成23年統計)まで生きるとすると、本来受給のほうが50万円ほど得をするという計算だ。

もらい始める年齢で損も得もない | くらしすと-暮らしをアシストする情報サイト より。

 まあ、こんなに貯金も資産もないので、考えてもしょうがないんだ。やっぱり働くしかないな(笑)

年金について

12月が誕生月なので、とうに「ねんきん定期便」が届いている。

 

退職までの417月、1600万円余りの保険料を納付してきたことになる。

63歳から、一般厚生年金(報酬比例部分)で年額130万円あまり(月、約11万)。

65歳から、老齢基礎年金が年額70万円あまり。計200万円あまり(月、約17万)。

 

ただ、

75歳までは「老人とは言わない」などと政府が言い始めており、そのうち減額や先延ばしが始まりそうでビクビクしている。

今もまた、先に受給の権利を行使しておこうと、老齢年金の繰上げ支給を請求すると(厚生年金もセットで繰り上げ請求することになるので)年金は「生涯にわたって」減額されるしくみだ。

あす事故で死ぬかもしれないし、健康に気を使ってなどいないが、100近くまで生きてしまうかもしれない。

90、100まで生きる時代到来とはいえ、現実的に80才位で死ぬと考え、少ない額でも早めにもらい始めたほうがいいかも、と人生の「損益分岐点」をあらためて詳しく検討しなければならない。

他にもいろいろ、もらえるケース、もらえないケースが、条件や年齢で複雑に入り組み、それがまた、年を追ってじわじわと変わっていくから始末に終えない。

今、これで行こうと断を下しても、数年後に不可逆的に変更され、悔いることもありそうである。当然、我々国民ではなく国に都合のよい様に変更されるであろうから。

 

頼りがいの無い制度だから、と、頼らない人を増やそうとしているのではないか、と邪推しても仕方が無い。

政府はこれまでサラリーマンが加入する厚生年金の「所得代替率」を100年後でも50%を維持すると公約してきた。

 所得代替率は「将来の年金受給額÷現役時代の平均給料」という単純な計算式で求められ、「所得代替率50%以上」とは、将来もらえる年金水準が現役時代の平均給料の50%以上になることを保障するという意味だ。

 ところが、厚労省は分母の現役時代の平均収入は税金や社会保険料を除いた手取り額、分子の年金額は税・保険料を引かれる前の支給額面で計算していた。分母を小さく、分子を大きくすれば、数字が大きくなるのは自明である。

 どちらも支給額で正確に計算し直すと、所得代替率は2013年時点で公約ギリギリに近い50.9%で、2043年には40%台に下がる。「所得代替率50%」の政府公約が守れないことを隠すための水増しだ。

64歳11か月で退職した人の「消される年金」で国相手に訴訟も | マネーポストWEB |『マネーポスト』(小学館)公式サイト より。

 

 

 

 【参考】

世の中には、50代突入早々で検討している人も多い。反省。

logolife.net

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家族を見守ってきた「階段箪笥」

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 前回の投稿からまた間があいたが、前回までに悩みの写真整理の方向がつかめたので、落ちついてぽちぽちとスキャンしている。

先日、僕の退職を家族に祝ってもらった。ありがたいことであるが、僕の方もこれにあわせて、我が家のベストショットを「Google Photo」のアルバムに100枚程度アップして家族(妻、子どもたち、そのお嫁さんたち)に限定公開した。これで離れて住んでいてもいつでも共有できるというわけだ。

(ちなみに、このスキャン作業を通じて、本当に思い出の写真、ベストショットというのは、子どもが多かったとしても100から200枚程度だな、と理解した。)

 クラウドアルバムのタイトルは「Family Tree」

僕と妻の二人からスタートし、芽を出し枝を伸ばし、孫までいる大きな樹に育ったという意味。

我が家では、毎年5月5日の前後に家族写真を定点観測のように撮っていたのだか、ある家具の前に並ぶのが慣例になっていた。

その家具は、今も我が家のいい場所に鎮座している。

 

f:id:tanntannto:20170123140742p:plainf:id:tanntannto:20170207011417j:plain全体像はこちらに。

 

・・・「階段箪笥」である。

 30数年前、妊娠中の妻と骨董市に散歩にでかけて、衝動買いをしてしまったのだ。

明治の初めごろから、京都の(と骨董屋は言ったが、本当にそうかどうか、わからない)方面(京都だとしても市内じゃないと思う。なぜなら雅さ繊細さは感じられないからだ)の、とある民家で活躍を始めたらしい。

暮らしの中で、普通に使われていた証拠に、扉や引き違い戸も、枠も敷居も磨り減っている。当初の重厚な鉄金具で出来たちょうつがいは1つ駄目になり、代わりに、現代の金物屋で売っているようなごく普通の丁番がビスで無造作に留められている。

それでも、使い込まれた風情が魅力的に映り、多少のガタがきているせいで破格ともいえる価格(若い僕ら夫婦には覚悟がいったが)で買えたので、我が家にやってくることになった。

今年(2017年)は明治150年にあたるそうだ。

百五十歳になった「階段箪笥」は、その歴史の5分の1、30年を我が家で家族を見守りつつ過ごし、今は、神棚、兼、仏壇、兼、飾り棚、兼、収納庫となっている。

 

一番上段には、遮光器土偶と、祇園祭りの粽(ちまき)。

ニ番目には沖縄のシーサー、一対。

途中の段は、絵も、品物も気分で入れ替わる。

一番下は、インカの石像が、日本の藍染の布の上に座っている。

 近いうちに、これらわけのわからんものも、少しずつここで紹介するかな。

 

現在は、全員が集まって撮ると、みんな「大型の人」たちばかりなので隠れて見えないと思うから、「階段箪笥の前で」というのにはこだわっていない(笑)

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