たんたんの日々

淡々と生きる。坦々と暮らす。忘れていた楽しみ、おいてきぼりにしていた暮らし、新しい愉悦、心地よい時間を再発見していく日々をつづる。

家族を見守ってきた「階段箪笥」

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 前回の投稿からまた間があいたが、前回までに悩みの写真整理の方向がつかめたので、落ちついてぽちぽちとスキャンしている。

先日、僕の退職を家族に祝ってもらった。ありがたいことであるが、僕の方もこれにあわせて、我が家のベストショットを「Google Photo」のアルバムに100枚程度アップして家族(妻、子どもたち、そのお嫁さんたち)に限定公開した。これで離れて住んでいてもいつでも共有できるというわけだ。

(ちなみに、このスキャン作業を通じて、本当に思い出の写真、ベストショットというのは、子どもが多かったとしても100から200枚程度だな、と理解した。)

 クラウドアルバムのタイトルは「Family Tree」

僕と妻の二人からスタートし、芽を出し枝を伸ばし、孫までいる大きな樹に育ったという意味。

我が家では、毎年5月5日の前後に家族写真を定点観測のように撮っていたのだか、ある家具の前に並ぶのが慣例になっていた。

その家具は、今も我が家のいい場所に鎮座している。

 

f:id:tanntannto:20170123140742p:plainf:id:tanntannto:20170207011417j:plain全体像はこちらに。

 

・・・「階段箪笥」である。

 30数年前、妊娠中の妻と骨董市に散歩にでかけて、衝動買いをしてしまったのだ。

明治の初めごろから、京都の(と骨董屋は言ったが、本当にそうかどうか、わからない)方面(京都だとしても市内じゃないと思う。なぜなら雅さ繊細さは感じられないからだ)の、とある民家で活躍を始めたらしい。

暮らしの中で、普通に使われていた証拠に、扉や引き違い戸も、枠も敷居も磨り減っている。当初の重厚な鉄金具で出来たちょうつがいは1つ駄目になり、代わりに、現代の金物屋で売っているようなごく普通の丁番がビスで無造作に留められている。

それでも、使い込まれた風情が魅力的に映り、多少のガタがきているせいで破格ともいえる価格(若い僕ら夫婦には覚悟がいったが)で買えたので、我が家にやってくることになった。

今年(2017年)は明治150年にあたるそうだ。

百五十歳になった「階段箪笥」は、その歴史の5分の1、30年を我が家で家族を見守りつつ過ごし、今は、神棚、兼、仏壇、兼、飾り棚、兼、収納庫となっている。

 

一番上段には、遮光器土偶と、祇園祭りの粽(ちまき)。

ニ番目には沖縄のシーサー、一対。

途中の段は、絵も、品物も気分で入れ替わる。

一番下は、インカの石像が、日本の藍染の布の上に座っている。

 近いうちに、これらわけのわからんものも、少しずつここで紹介するかな。

 

現在は、全員が集まって撮ると、みんな「大型の人」たちばかりなので隠れて見えないと思うから、「階段箪笥の前で」というのにはこだわっていない(笑)

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